海外マラソン

 会社人生の終焉を海外旅行に目標を定め55歳の定年を待ちかねた。しかし縁あって54歳で早期退職し第2の勤めをしたため優雅な海外旅行はお預けとなった。が新勤務先経営者のご理解があり4月、海外旅行の第1回をボストンマラソンに完走で飾ることが出来た。

 エルミタージュの美術館へ行ってみたい。マラソンだけでは折角の海外旅行がもったいない。2012年エルミタージュ本館が大修理のため名古屋で展示され観られた。

 日本では見られない美術館を訪問したいと思いイギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、イタリア、スペイン、オーストリア、アメリカ、メキシコ、ペルー、ギリシャ、エジプト、ニュージーランド、オーストラリア等随分な数に自分ながら驚く。

 未だ訪問してない国は数多くあるが、マラソンを兼ねての観光旅行は体力的にもう無理であり、今後は観光のみの訪問になるであろう。

 記録の厳しい大会をさけて2012年ハワイビッグアイランド、ゴールドコースト、2013年コペンハーゲンの大会に参加し観光を楽しみマラソンを完走する喜びを得た。 

  長年の行ってみたい場所の一つがドイツロマンチック街道であった。2014年7月ロマンチック街道マラソンを走る機会に恵まれた。詳しくは完走記にあるが久しぶりの完走で気持ち良い思い出に残る旅であった。ノイシュバンスタイン城の城下、フッセンの町がスタート、ゴールであり、南ドイツのこの町はロマンチック街道終着の町である。

2014年5月にはガラパゴスマラソンにも参加でき完走できた思い出の喜寿の年であった。

最近の海外マラソンの写真とコメントをギャラリーに収めてあるので笑覧ください。

中国万里の長城と西安、兵馬雍、北京天安門広場  2015.8.9~8.15


中東4か国のマラソンと観光  2015.03.26~04.08

3月26日から4月8日にかけて①キプロス②イスラエル③ヨルダン④ギリシャの4か国を旅行した。出発前に多くの友達は私にあなたは危険な国へ行くべきではないと警告をしてくれた。
それで、私も不安に思ったので外務省に海外危険情報を問い合わせた。
その結果「危険でないが注意しなさい」との情報を確認したが、しかし一抹の不安は残った。ヨルダンに対して外務省は「ヨルダンは中東の中では一番安全である」との情報でせっかくのチャンスなので思い切って出かけた。
観光
①  キプロスはトルコ側とギリシャ側と南北分裂したままの共和国だがギリシャ側の第2の都市ラルナカで3泊した。海岸のきれいな保養地で中高層ビルが林立している。6000年の歴史ある地中海東側にある貿易、戦略的に重要な島で長年イギリス、トルコ、ギリシャ間の紛争のおさまらない島だ。世界遺産遺跡が3つあり1つを見学した。1つ目のマラソン完走。

②  キプロスからイスラエルのテルアビブ空港に入りエルサレムへ車で移動。空港も街中も緊張した様子は見られない。エルサレムで2泊して、パレスチナ自治区でユダヤ、キリスト、イスラムの三宗教の聖地見学や旧市内、キリストの生誕教会、嘆きの壁、ベツレヘムなど旧約聖書の世界にいるようで坂の多い街だ。ベツレヘムではキリスト生誕の話を聞きヘブロンの丘、ゴルゴダの丘などどこかで聞いた地名が多い。嘆きの壁ではお祈りをした。“戦いのない世界が来るように“

③  イスラエルからヨルダンのアンマン空港に入国しても警戒すべき状況は全然無く、平和な
広場のようだ。町の中心地では市民や子供達、たくさんの人たちが普通の生活を楽しんでいる。
ヨルダンではスリやひったくり、殺人事件はないと聞き日本の方がよほど危険だと思った。
子供たちがのんびりと凧揚げをしている場面を数回見た。遠足の陽気な中学生の団体にもあった。
また、観光地も市街地もゴミが落ちてなくなく清潔な感じであった。アンマンで3泊。

ヨルダンはシリア、イラク、サウジアラビア、イスラエル、エジプトと国境を接しているが、どの国とも友好条約を結んでいる平和な国で砂漠が60%の国である。ジェラシェ遺跡や競技場は町中にあった私は死海マラソン50㎞をパスしペトラ遺跡に行った。
首都アンマンから南へ300㌔、往復600㌔を6時間砂漠の中をハイヤーで移動したが、丸1日の車の旅でも不安は少しも感じない。他のランナーは死海50㌔に参加し浮遊体験を楽しんだ。
途中でポリスが時々立っているがスピードや積載違反と無免許取締。
ペトラ遺跡は世界遺産だけあり2.5㌔の断崖壁に挟まれた歩道は圧巻である。4~50mの岩石が直立したり、変形して色々な形が見られる。その狭い遊歩道を過ぎると突然現れる遺跡宝物館や墓穴、宮殿跡や教会、競技場など見飽きない4時間だ。

④ アンマンからイスタンブール経由でギリシャ第2の都市、テサロニキに入った。ここはアレキサンダ大王の遺跡が多く、42㎞東の村が大王の出生地で、騎馬像が中心地にあり2泊する。100万都市で活気がある港町だ。今回の旅では私達には口に会う食料が多くレストランで安く美味しい食料にありつけた。

④  債務超過国で騒がれているギリシャ市内は、その気配全く無く、大衆はのんびりと生活を楽しんでいて、古い歴史と文化 の国であることを再認識した。土日のレストランは寛ぐ市民、家族連れで満員。パルテノン神殿や博物館に行ったが、何処も観光客や地元の近隣の人々で賑わっていた。勿論レストランも客は入っていて寛いで食事し、歓談する姿に債務国?と目を疑った。

マラソン
観光の途中でキプロスのリマソル、ヨルダンの死海とギリシャのテッサロニキの3つのフルマラソンを12日間の中で走るツアーにフル百仲間5人とラン友5人の10人で参加した。
キプロス市長を市庁舎に訪問し友好を深め、また、ゼッケン受付では私の着たTシャツにイングランド100 MARATHON CLUBの人達が気づき声をかけられ歓談をした。彼らは350回位の完走を自慢したが我々の回数に驚いていた。私のTシャツの背には 100 Marathon Club JAPANと印刷し海外では着用している。このクラブ名は世界に広がっていて私達のクラブでも統計を取り公表している。1000回以上や650回以上が4人もいて驚いていた。
① リマソルマラソンは美しい海岸スタート・ゴールの走りやすいコースで市民の応援が多く市民から「ブラボー」がひっきりなしに聞こえる。好天気で20℃くらいかな
② 死海マラソンはフルが中止になり50kmに変更され100名以下の参加者、私はマラソンをパスしてペトラ遺跡観光に変更
③ アレキサンダ大王マラソンは***をスタートしテッサロニキゴールのワンウェイで、農村地帯の平野を走るが殆ど国道で走りやすい北海道の平原のようだ。冷たい霧雨で一日手袋が必要。ゆるいアップダウンが続く道。バイク、スタッフ車が最後尾を走る私につく。鞭で叩かれるようなゴールは6時間少し超えぐらい。

エピソード;某氏がホテルに財布を忘れたが気がつかず清掃の女性から連絡があった。15,000円あり後日届けるとの事。正直さ、几帳面さに驚くと同時に国民性を感じた。
新聞やテレビのマスコミ情報は危険だという戦地情報多く発信している。宗教戦争や国の内戦などの区別なく危険性を煽っていると感じた。私の旅では全く危険を感じなく、楽しく旅が終わったことを神に感謝したい。             完

A trip and a marathon in the four Middle East countries
                                            2015.4.10
 From March 26 to April 8, I made a 14-day-trip with my ten Marathon friends to Middle East countries: Cyprus, Jordan, Israel, and Greece.

 A lot of my friends told me not to go to such dangerous countries when I said my plan. So I asked Ministry of Foreign Affairs if it is seriously dangerous or not.
Their answer was, "In the present situation, you will not be in danger, but you have to be careful". The information says, "Jordan is the safest country in the Middle East". So I decided to go.

 I saw citizens, children and many people enjoying their normal life in a town. Several times I came across to the scenes where children were playing with kites, flying them up in the sky. I heard that there were no pickpocket or bag snatches or murders. It seemed to me that Japan was much more dangerous.

 Jordan is bordered by politically unstable countries such as Syria, Iraq, Saudi Arabia, Israel and Egypt, but Jordan is the peaceful country forming a friendship treaty with all these neighbor nations.

I moved 300 kilos by car to Petra, the Jordanian ancient city located in the desert from six hours from Amman, the capital of Jordan. It was a 600-kilometer-round-trip altogether but I did not have any troubled feeling at all during that time.

 In Israel, I seemed to be in world of the Old Testament. I did a city sightseeing and had a feeling that a sacred place of Christianity and the Judaism was really great. I heard a story of the going to Bethlehem, Christ birthplace.
 At Wailing Wall I prayed for the world without fighting.
 
 The old historical country, Greece, is now in an economical crisis. But people living in that country seemed enjoying their life happily without worrying about such a crisis.
 I took part in two full marathons and I ran the whole distance both in Limassol of Cyprus and Thessaloniki in Greece. My 14-day-trip came to the end with full of unforgettable memories which will stay in my heart forever.

キプロス島

キプロス紛争で知っていた程度だったが、訪ねてみると中南部はギリシャ人が納めていて平和で避暑地としての観光都市だ。長い間オスマントルコに占領されていた傷跡が尾を引いているのだろう。

イスラエル、ヨルダン、アテネは別記。


イスラエル

ヨルダン/ペトラ遺跡

ギリシャ


南ドイツとスイス、マラソンと城巡り(14.7.16~7.28)


南ドイツとスイス

旅 

 

城巡りとマラソンを2つ走るバス

と鉄道の旅

 

 

 

                      2014716日~28日 №193千田虎峰

 

今年は暑い!梅雨開けて瞬時に猛暑がやってきた。と思ったら台風の来襲、異常気象の地球は一体どうなるのだろう?この夏暑い名古屋を逃げるようにしてヨーロッパの旅に出た。

 

好きだったマラソンも制限時間で国内の参加できるレースも少なくなり、ゆっくりでも走らせる大会を探してのマラソンの旅だ。

 

行きは羽田からエールフランスでパリ経由ミュンヘンへのフライトでパリまで12時間45分、ミュンヘンまで1時間30分のフライトである。ドゴール空港へは早朝の到着だった。待合ロビーから見た雲間から出る朝日もきれいだが、建物のデザインが素敵だ。

 

ミュンヘンから鉄道でPRIEN3時間乗り、ヨーロッパ鉄道の旅の始まりだ。湖の中に浮かぶ小島、ヘレムキームゼ城の見学をした。PRIENの町からフェリーで渡った緑濃い森に囲まれた小さな素敵な城だ。ヨーロッパは鉄道網が発達しておりゆっくりと座っていけるが乗換えを忘れずにしなくてはいけない。車両は表示も放送もない古い車両から最新鋭の車両とあるが、車窓から眺める雄大な自然は気分を和ませてくれる。今回の旅の目的の2つ目、城巡りの始まりである。PRIENでホテル1

 

2日目は鉄道でFUSSENへ移動し、ゲストハウスサンクトウルリッヒに宿をとった。ここは元修道僧の宿舎で、改修し簡易ホテルにしている静かで清潔な宿だ。近くに大きな聖シュピタール教会がある。FUSSSENはロマンティック街道350㎞の終着の町でもあるが、有名なホーエンシュヴァンガウ城、ノイシュバンシュタイン城が近くにありゆっくり見学ができた。FUSSEN3泊し、日曜日にはマラソン大会「第14回王冠ロマンチック街道マラソン」に参加、城から見下ろしたFUSSENの町、田園地帯、湖、森の小道を走る。

 

Konigsschiosser Romantik Marathon FUSSEN 2014←正式な大会名かな?ゴール前2㎞はホテル前を通るのにはびっくり手を振って通過する。

 

5日目はバスで移動し小さな町オーバアマガウに2泊した。老夫婦の経営する家庭的なホテルで、冬はスキー客で賑わう山間の宿場町の感じ、ウインドショッピングを楽しむ土産物店も多い。この町は10年に1度「キリスト受難劇」を町民が上演するので有名。バスで移動途中、世界遺産の欧州で1番美しいと言われるロココ教会のヴィース教会と修道院を訪ねた。教会は寒村にあり外観は地味だが内部は豊かな色彩と華麗な装飾で圧倒される。昼はレストランで暖かいドイツ料理を頂く。

 

6日目、バスでリンダフォフ城と修道院を見学。僻地と言えど立派な建造物があり驚く。

 

7日目は鉄道で4回乗換へてスイスへ移動、ダヴォスに宿をとり、ダヴォスではアパートメントを借り4泊した。ドイツの不味いパン(日本は美味すぎるのかな?)、ハム、チーズ、ジャガイモに辟易していたがスイスではCOOPで野菜、肉、米など買い物し、持参した缶詰やレトルトを調理し腹一杯食べた。ダヴォスは国際会議が毎年開かれている有名な町だが、周囲をアルプスの山々に囲まれ高い峰にはケーブルやロープウエイが発達している。半日、ゆっくりと展望台にケーブルで登り遊んだ。家族連れが多く遊んでいた。勿論、我々も毎晩ダヴォスマラソン談義に花を咲かせた。

 

土曜日のスイスアルパインマラソンは生憎の曇り空で途中から冷たい雨が降り、ロマンティックマラソンと違い山岳マラソンで私は難渋した。大会組織はしっかりとしており市あげての2日間のお祭りのメインです。Swissalpine davos が正式名称かな?

 

子供たちの年齢別から本格的なレースまでの大会で、幼児から超ウルトラマラソンまでの幅広い大会でエイドも案内標識も多数あった。完走者には老若とも公平に同じメダルが与えられる。しかし、登山道のような細い道やアップダウンの続く道は未舗装で、私にはきついレースです。降り始めた雨で水溜りも多く悪路となり33kmに種目変更し(42㎞に登録したが33kmの正規レースもあり)メタルも完走シャツもいただく。山岳鉄道と幾度も交差したルートはループ橋の下や鉄橋をわたる難路である。

 

11日目ダヴォスを後にしチューリッヒへ移動、オランダKLMによりアムステルダム経由で名古屋セントレアに帰った。2日間往復機内泊で11日間の旅でした。

 

この旅は同行者の親友国府さんの海外マラソン100回達成記念旅行であり、彼は見事ロマンティックマラソンで100回目を完走し長年の夢を果たした。同行の石田さんは海外マラソン大好きランナーで息子さんと同行我々の旅を助けていただき、ロマンチック街道マラソンでは親子しての完走に歓声をあげていた。個人旅行に慣れてない我々は彼女に随分と助けられ、大変頼りにし感謝したい。同行予定の山本さんは突然の急用のため楽しみを後に伸ばし、河合さんは夜叉が池参加(№1)と伊勢三泗マラソン開催でご一緒できず残念だった。

 

鉄道王国スイスの鉄道旅を満喫した今回はツアーでない個人旅行のためいろいろな列車に乗った。国境を越えて自由に旅ができることは素晴らしいことだ。改札は無人で犬を伴った乗客も多く自転車の持ち込みも自由で専用の車両スペースがある。犬や自転車を自由に列車の旅に利用するスイスやドイツの人達の生活に親しみを感じた旅でした。

 


ガラパゴス漫遊記(14.04.30~5.13)

ルクソールマラソンとエジプト騒乱

2011.01

 

エジプトから帰って

 

皆さんにご心配おかけしましたが、3117時無事成田に帰国しました。

マスコミ取材ラッシュの中を通るのは初めてで、同行の河合さん、木村敬さん夫婦他多数取材されていました。国内では大騒ぎだったことが分かります。

  エジプト国内がこれほど疲弊し、99%の国民、特に若者の鬱憤が蓄積しているとは思いませんでした。この騒乱の指導者がいないのが今回の特徴で、独裁政治が長かった事が分かります。

 

 23名のツアー(地球を走ろう・クラブツーリズム)で成田出国・帰国です。

 

25日に出発して、26日ギザのピラミッド、スフインクス観光、27日王家の谷、28日のルクソールマラソンまでは世界遺産の観光を含め順調に行程をこなしました。

 

最高齢者として2人が表彰され記念品の置物を頂いた。同年齢の曽我さんはスピードランナーでサロマンブルーです。

 

 

 

しかし、24日頃からデモがカイロ、アレキサンドリア、スエズでは起きていたようです。

 

ホテルのアルジャジーラTVで若者の政治デモ、警官との衝突騒動の様子を見ました。

 

ギザの観光を終え、空路カイロから600km南へ離れたルクソールは平穏無事でした。

 

28日金曜のルクソールマラソンを終へた午後にはルクソールの中心街も騒然としてきたようで火炎瓶の煙も出ていたようです。ホテルの私達には別世界でした。

 

私達はナイル川の中の島にあるホテルのプールでアイシングしながらその日は過ごしました。

 

 

 

29日カイロへ出発のため空港に行くと、カイロでの非常事態がはっきしてきて国内便エジプト航空も半日遅れて飛びました。ルクソール空港ではサッカーの日本勝利・優勝をみて歓声があがっていました。

 

カイロ空港内の食料もカラとの情報で食料をルクソールで買い込み、騒然としたカイロについたが外出禁止令で予定のホテルには行けません。

 

戒厳令下で職員も出勤出来ず、飛行機があっても飛べないとの事、みんな床に横になって仮眠し一夜を過ごしました。

 

 

 

食料は2度、差し入れがエジプト航空と近ツリからあり、また、手持ちのもの(みそ汁やお茶等)飲み、食べたりしていました。持参の湯沸かし器やポットが重宝されたのです。

 

その間、色々情報が流れ飛び何度も荷物をもって右往左往しました。

 

1000人いた乗客は夜が明けたらヨーロッパ系は居なくなり、日本人と東洋系ばかりになっていました。ヨーロッパ諸国はいち早くチャーター便を使いローマへ脱出したようです。

 

その時、空港には約500人の日本人観光客がいたようです。

 

 

 

30日我々のグループは添乗員の言うまま動き、突然出国出来ることになり、手続きを済ませて

 

夕方予定の飛行機エジプト航空964便に乗りこみました。

 

外務省の動きが30日にあったようで、大使館員が何度も添乗員を集めていたが、全員脱出は不可能で、飛行機は330人乗り優先順位があるようです。

 

4時間待たされ満席で飛びたちました。半分の席は政府がチャータしたとのうわさでした。

 

 

 

待たされた機中では乗務員が不足とか言ってたが、最後は無理やり日本人観光客を無検査で乗せたようです。窓から見たカイロ空港の灯が心なしか薄く見えました。飛び立った時はホットし、成田に到着した時は無事帰国の機内に感動と感謝の拍手が一斉におきました。

 

 

 

貴重な体験でしたがチュニジアやアルジェリアからスタートした中東の一般国民による政治反乱はまだまだ広がるようです。

 

 

 

エジプトは1%の富裕層と残りは貧困な国民で、30年にわたる独裁政治に対し特に若者に鬱積があったようです。エジプトの外貨収入はスエズの通行料、観光が2大柱で観光収入がこの騒乱で数年落ち込みが続くと添乗員は嘆いていました。

 

 

 

騒乱は携帯メールでのNET呼びかけが発端となり、パソコンや携帯の利用がすぐ止められ日本への受発信ができませんでした。現地添乗員からもエジプト事情を色々聞きましたが、帰国したら日本の方がより詳しくご存じのようでした。

                         2011.01.31 千田記

 


エアーズロックに遊ぶ

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