ロタ島悠遊記  2014.2.14~17

ロタはサイパン、グアムの中間にある小さな島だが線化にもあわず自然の残る桃源郷だ。

人口3000人、御多分にもれず過疎化の影響で若者が激減、町には閉鎖された店舗・家屋が多く見られる。親善大使Y氏のお世話でマラニックが計画されプレに参加した。走力のない私は10時間の制限に飛びついたが、55kmといえども暑さに参って10kmのカット、冷水を飲み、被ってのウヲークで手足は真っ赤。地元民の手厚い歓迎で3泊の時間は100%の満足感で寒い日本に帰国した。

かってスペイン300年、その後ドイツの傘下にあり、1911年から1945年まで日本の支配下にあった。日本はサトウキビ畑、製糖工場をもち本国へ移出していて、今も工場跡やトロッコの機関車の残骸がある。村民の多くの方に日本人の血が混ざっていて、日本語が簡単な会話の中にでてくる。

BBQのパーティでは高価なヤシガニや豚の丸焼き、熱帯魚などもたら腹たべた。グアムからは不便だがチャータ便で飛び市長直々の歓迎挨拶は過ぎたおもてなしに恐縮し通しの有様だ。

ツール・ド・モンブラン  2013.8

Summer pleasant memory
                 Keizo, Kohou Senda

 

 

I went to the European Alps where I longed for in this summer.
I was in Chamonix in France from August 3rd to 10th and stayed at a mountain hut for 4 days.

                     

 

 

Alpine nature was magnificent. In Alpine plants were the full bloom and cows in the pasture were eating beautiful flowers.
A lot of snow remained.

 

 

 

 

The water which flows from the melting glacier made me cool. I wandered along a mountain path and walked in France, Italy, the border of Switzerland three countries.

 

 

 

 

 

We can look at Mont Blanc shining in the morning and the evening from Chamonix

       

  Mont Blanc is 4,807m high, the highest peak out of Alps.
    

 

 

This tour is called Tour de Mont-Blanc.


シカゴは暑かった
シカゴは暑かった

京都は雪だった

日曜の京都は雪のレースで終始した。土曜の午後、暖かい名古屋から霙交じりの寒い京都に降り立ち、出発時に冬衣料を置いてきたことを後悔する。年1回ではあるが、定宿の花園の禅寺の宿で朝、窓から見た伽藍の屋根やねは真っ白に雪化粧し、境内の黒松はうっすらと雪を被っている。深々とフル雪の中をバスでスタート地点の平安神宮に近づくと東山の山々は全山静かな雪山になっていた。


 第十回の記念大会で8000人の参加者は長い長蛇の列を作り、5つの関門が気になり、いつものような遊びの余裕が消えスタートから懸命に走る。北大路通りを避ける賀茂川への道は主催者の工夫にも係らず大渋滞の混乱状況だ。蛍が池の第4関門を2分前に通過し、折返しで関門で止められている多くのランナーを目にするが、雪の中を続々と続いてくるランナーを目にすると関門のあり方に疑問を感じる。去年と同じ1‘55”位でゴールするが降り止まぬ雪で観光を止め帰りを急ぐ。名古屋は快晴で風が強く、國際女子の選手がまだ走っていた。実業団の山口ハーフは雨の中で行われていた。初春の気候の変化に、狭い日本を広く感じた一日だった。
                                                3月10日
 

大村湾一周マラニク

大村湾一周マラニクでは大変お世話になりありがとうございました。佐賀の嬉野温泉をスタート、今年は6キロほど延びて166キロのようですが、ウルトラは5キロや10キロはどうでも良いようですね。平賀さんの路草バージョンのキリシタン受難の遺跡などを回るようになってたが強い雨に意欲をそがれ(意志薄弱)地図をたどるだけの余裕の無いマラニックとなり来年に路草は残すことになりました。

 私は国府さんと22名が正午12時一緒に出ましたが、10時20名、8時2名も出ていてスピード自信ランナーは16時にスタートです。80キロ~110キロで抜かれましたがすごいランナーが沢山いるものですね。総勢80名で完走率は80%と高いレベルでした。

 スタートからすごい雨で私は覚悟して舞鶴れんがの参加賞の黄色のカッパを着て参加でしたが、結局夜の雨が上がっても気温の低さに防寒具に早変わりで重宝しました。2℃くらいまで下がり、翌日は前線の通過で天気良く、17度まで昼間は上昇した暑い2日目となりました。気象台の友野さんが予想が当たったと満面の笑みでした。

 ハウステンボスから静かな大村湾、渦潮の見事な西海橋、琴海、時津の漁村群、真夜中の長崎、早朝の諫早、暑くて腕まくりの大村と国分さん、木下さんの3人旅で制限時間の20分前に嬉野温泉・松園旅館に拍手の中ゴールしました。曇のため日見の日の出を拝められず夕日は温泉の大浴場の中で見ました。夜明け目の星空に輝く星座は名古屋より何倍もきれいでした。平賀、岡野さんの悠々ランナーに「お先に」と言葉を残し、急坂を駆けあがっていく岡村さんの颯爽とした走りをみて唖然とするばかりでした。

 朝方、眠気が3度ほどやってきましたが寒さで寝られず、宴会後翌朝までぐっすり意識不明で熟睡しました。   40名の献身的なスタッフは統制が良く取れ、主催者の佐藤先生の人柄が反映しているようでランナーは感謝してもしきれないと思います。スタッフにも江口さん渕上さん、山口さん等が居られ、ゴールして顔見知りのランナーが大勢居休憩しており、しばしの歓談できたのも大村湾の同窓会のようでした。

 翌日は新しくなった国設、吉野ヶ里遺跡を見野さんと高田、山下さんとゆっくり見学しました。まだ、50%の開発でその規模の大きさには驚かされます。高見櫓や高倉、拝殿など復元され体裁が整ってきてます。3000人ほどの環濠国家で王の元、近隣を従えて小国家を形作っていたのでしょう。弥生遺跡の説明員も配備され上手な解説で命の洗濯をしてきました。夕方、オープンを待ってあら津によって美味しい酒とお料理を頂き福岡中州の夜を後にしました。
                                                2月11日


富士の雪中行軍

2時半、目を覚ますと車窓からの駐車場は雪を載せた車で一杯だ。五湖へ登ってくるとき雨の御殿場のコンビにで買ったお握りをほおばる。受付への階段も雪で埋まっている。用を足し、暖房の社内で早々に着替えてスタート地点に向かう。外気温2℃、風は無いが雪質は細かく変わってきてまだ寒くなりそうだ。真っ暗な中、117キロのスタートには雪を踏むきしんだ音とスピーカの音が響き、ライトに照らされたランナーのはく息が涌き出るようにあふれている。30cmほどの積雪だろうか。


 北麓公園から山中湖までは前を行くランナーの踏み跡を追っていくが、道端の木々は重く首をたれている。所々雪の中に電灯を入れた案内用のポールが置いてあるが、森はあくまでも黒の衣装だ。忍野への集落で夜が明けてくるが人の姿は見えず、気温は1℃を指している。湖畔周遊道路に出ると車が大型を含め急に多くなり、注意していても跳ねられた雪塊を何度もかぶる。後発100キロのトップランナーが追いぬいていく。雪はどんどんと情け容赦無く落ちてくる。

 転倒しないように、帽子に積もる雪を払いながら踏みしめた雪上を走る。辺り一面、白一色だが遠景の山々と湖、繋がれた小舟が雪の中に浮かび、水墨画の世界だが眺めてゆっくりするゆとりは無い。

 こんな悪天候でもエイドでの接待、声かけと要所にはスタッフが立っていて激励をくれる。

 27キロエイドで「悪天候のため47.5キロで中止」と告げられる。117の時間配分で来たが、緊張が一変に切れてスピードをアップする。帽子と手袋には相変わらず雪が積もり、凍って固まるので何度も落とす。靴下は水を含み、靴の指先の感覚が寒さで無くなってきている。八甲田の雪中行軍の映画を思い出すが、勇気ある決定だ。昨日の名古屋を出るときの暖かさでは20℃程の温度差があるのだろうか。寒いゆへエイドの熱いココア、味噌汁など身も心も暖められ頭が下がる。「ありがとう」と礼を言ったが、もっと声を高くすればと後悔している。

 47.5地点の林間学園で暖を取りながら、豚汁を何杯いただいただろうか?美味しかった。

 4月の雪は珍しいと地元でさえ言ってたが、富士も桜も見られなくとも良い経験をさせてもらったものだと合わせて健康に感謝している。                          完   4月11日

私のさくら道

2003年、第10回のさくら道は殊のほか、思い出と感激が深かった。初日の夏日の暑さと放射冷却のための夜中の寒さ、二日目の台風を思わせる強風と雨、ゴールは横殴りの風雨の中のぎりぎりのフィニッシュ。過去にはない深い感動を残してくれたのであった。

 定年となって勤務を気にすることもなく、ゆっくり時間内ゴールを目標としての参加であったがスタート地点に集まった顔見知りのウルトラ仲間や応援の仲間、旧知のスタッフと歓談していると果たして完走できるかと不安がよぎる。一宮裁判所前(27.3K,9:20)

 毎度の事ながら名古屋市内と郊外は地元なるがゆえの観光案内に徹して北上、初参加のスポーツクラブ仲間の広瀬君と笠松まで行くが水分補給中に離れる。岐阜市内は富山の関さんと並走し、フル百仲間の福井さんリードの関エイドは暑さで水を飲み、被るランナーでおお賑わいだ。ソーメン、お握り、アンニン豆腐などご馳走が一杯でつい休憩を取りすぎてしまう。(59.5,14:30)

 暑い時間帯で美濃のエイドで冷水を浴びる。美並の道の駅でトイレ休憩とうどんを夕食として取る。前回の失敗で腹いっぱいの大食いは止め、日が落ちて涼しくなるのを待って出る。(76.3K,17:30)例年マッサージをして頂いてる金沢のカイロプラテックの青年に世話になる。(同姓の千田さん)ここから先行の中江さん、仙台の出口さんと暗い夜道を同行する。歩道が左右に移動してトラックやバスも多く注意して走る。中江さんは女子の最高齢者でウルトラの大ベテラン、その粘りにはいつも敬服する。出口さんは初参加、守師匠に誘われてヴィデオでイメージトレイニングしてきたという頑張り屋さん。郡上のエイドで腹ごしらえし、美味しい牛乳で喉を潤す。広瀬氏の仕事仲間の応援が来てくれる。(96K,21:50)

 大和では本田おばあさんのお出迎えで自家製の山菜おじやと漬物を頂く。深夜までいつもながらあり難い事だ。白鳥に入り坂を登り佐藤良二さんの顕彰碑に参るが今年は桜の花がなく寂しいことだ。(116.2K,1:06)

 向小駄良の休憩所で小休止、おでんを頂く。寝ている人もいるがまだ目が冴えているので長袖シャツと防寒具をつけ眠くなるまで前進する。北濃駅で待合室が空いていたので仮眠する。15分程で寒さに目が覚めて起きるが、歯が合わないぐらいで震えが止まらない。二回バス停で仮眠し、蛭が野分水嶺でちょうど夜が明ける。名物手抜きうどんを成瀬ボスから頂く。暖かくてだしがきき美味しい。大日岳の残雪が朝日に照ってきれいだ。空に雲なく今日も暑くなりそうだ。観光客で混み合う荘川桜エイドにて山口夫人にお迎えられる。桜は早すぎたのか未だ蕾固しだ。カレー、スープを頂き二回目のマッサージをお願いする。足を骨折して参加しない柴本さんが車で応援してくれている。(154.7K,9:02,30分休憩)

 先行の若原さんと一緒になりスタートするが、その早さについて行けない。風の強い御母衣ダムを過ぎ、平瀬で足を痛めた若原さんはリタイアするという。無理をしないことだ。田口建設ではおかゆを頂く。顔ふきタオルがあり難い。(168.2K,11:47)

 帰雲城跡を過ぎ眠くなった出口さんに後で追いつくことを願って一人旅となる。萩町手前で富山の桜井さん達のエイドで接待を受ける。石原、弥富は1時間前、渡部夫婦は30分前に通過し、石原グル‐プは歩いてもゴール間違いなしという。白川郷分岐で荘川桜でリタイアした広瀬氏が迎えてくれ、コムズの渡辺君が応援にくる。(179.5K,14:00)

 白川村で岩田氏とあい暫く同行し写真を撮る。若い大勢の観光客でまるで銀座通りだ。長いトンネルを3本通り、飛越七橋を深い新緑の木々を眺めながら渡る。上平の道の駅ささら館につくが5時を回り店じまいか閑散としている。エイドでお茶を頂く。(197.3K,17:10)

 民謡歩道で一人民謡を聞く。夕方の山村に哀調をおびた音色がよく響きわたっている。渡辺夫婦が仲睦ましく走っていた。3年前にご一緒して頂きリードして時間外だが初ゴールしたのだった。下梨エイドではもみちゃん、美ッちゃんのきれいどころにに迎えられる。この頃から強風が吹き荒れペットボトルが吹き飛ばされ、机を押さえるのが精一杯。おじやを頂き五箇山への登りを急ぐ。(209.2K,19:32)

 五箇山トンネル入り口まで1:30かかり、3000Mのトンネルは30分で通り抜ける。浅井さん夫婦、越田さんの名古屋トリオが迎えてくれる。ここも強風で寒いが3回目のマッサージを受ける。熱いソーメン、ホットポテトを頂く。出口さん達が追いつく。(214.7K,21:00)

 城端の灯を目指して長い坂を下るが展望はいつも夜中で楽しめない。蛙の合掌が喧しく夜空に響く。城端から福光への通りでユノさんと月峰さん達に会い暫く同行し、坂上松華堂で小休止する。役場横で足を引き摺っている金魚ちゃんに声をかける辛そうだ。歩けないので保護を求めると月峰さんは言う。(231.1K,0:25)

 蔵原から県境を超え森本迄での14k程は眠さがピークに達し、風雨が台風並に吹き荒れ下着までびしょぬれで避難もできず皆さんに置いていかれる。兼六園への国道は川のような流れと水溜りを避けながらの苦行だ。新聞配達が動き始めたが薄暗い。兼六園の酒井さんには寒いからと挨拶だけで通過、香林坊から武蔵ケ辻の中心街を一目散に走る。二口のエイドは風雨の為か引払った後だ。時計を見る余裕もなく唯ルネスを目指し走る。頭の中は熱いお湯の中に浸かって体を温めたいとそれだけで一杯だ。感激のゴールは難行苦行があっただけに弥増さるのであった。一人旅のはずがゴールのとき横に飛びこんできたのは富山の関さんだった。(265.5K,6:56)
                                                
5月6日

屋久島放浪の旅

 「月に35日の雨が降る」と芙美子が放浪記に書いた屋久島に行ってきた。鹿児島で乗り継いでの飛行であったが幸い天候に恵まれての放浪の旅でした。乗り継ぎに時間があって西郷どんで有名な隼人町の温泉にも浸かってきた。

 30分ほどの飛行だが窓から見下ろす海原は穏やかでまるで象の肌のようだ。

 屋久島は「エコージャニーラン80K」に参加するもので受付会場に着くと鈴木正(呼びかけ世話人)、菅原パ、石原花、前村、萩田、ゆうさん、等ウルトラ好きが大勢いて前夜祭では話に花が咲いた。長年行ってみたいと思ってた憧れの島は、雲の上に頭を幾峰も突き出した海と山と川の気候温暖な日本で5番目に大きな周囲132kの島だ。

 宮之浦を日の出(6:46)スタート、反時計回りに 3/4周し安房が日の入ゴール(17:15)で海岸線特有のアップ・ダウンの多いコースで、風光明媚なコースを走るユニークなジャニーランであった。地元のサポートも万全でエイドも充実していた。

 周回道路の残りを翌日20k走った人、宮之浦登山や縄文杉などに観光登山の人もいた。コースはつやぶきの黄色い花が通して咲いていた。応援は少ないが、猿がいたる所に出没し応援、鹿も見られた。気候が良いためかハイビスカス、ガジュマル、クワズイモ、シダ、シュロチクなど自生の大型の植生が見られた。ポインセチアの2mもある真っ赤な自生には驚かされた。

 私は翌日縄文杉、2日目は残り20kを走って島を後にした。平成5年に文化遺産に登録された国立公園の島は鑑真和上の初上陸、薩摩藩や秀吉による杉の伐採など歴史と自然保全、活用にゆれた歴史が多く秘められている。しかし山へ登ってみると、とてつもない数の巨木を抱えた山島であって島の人々が古来から大切に自然を守ってきたことが分かる。




久 米 島 の フ ル

10月27日、久米島から帰ってきた。島にじっとしていると帰りたくなってくることは確かだ。10月の末だというのに照りつける太陽に汗が吹き出てくる。木陰に椅子をよせて座って蝉の声を聞いていると、時計が止まっている錯覚を覚える。蝉の声は古びたラヂオの壊れたバリコンのスピーカから聞こえてくるようだ。

 マラソンは町村合併記念でフル第1回であって、町民上げての歓迎で盛り上がった気持ちのいい祭りだ。表彰式の後のふれあいパーテイでは鳴り物入りの沖縄民謡の唄と踊りがあって、私は郡上踊りと阿波踊りのミックス踊りを踊りつづけた。勿論、美味しい泡盛をたらふく頂いての赤い顔をして踊ったのだ。
 
 マラソンは5歳刻みで3位まで入賞であって、フル100で三田氏、西川氏が2位それぞれ入賞でした。名古屋の安助、後藤さんがたも3位入賞でした。7時間制限時間のため初心者や高齢者も参加が多く、地元や若い女性も目立ちました。愛知9人、岐阜、長野1名と少ないが全国からのランナーが集合していて、ハーフ、10k、5k合計で1387名の出場者でした。福井の2名は69、76歳でしたが見事好タイムで完走しておられました。その時、聞いたのですが松岡九頭龍は今年が最後で中止になるとの事。これも町村合併の影響です。私は 4:29.56 で年代別8位でしたが、20~30mの長い坂の多いコースで素晴らしい景色と応援とは逆に飽きのくるコースでした。

 夜の宴会が美女入りで美味しい郷土料理をたらふく食べて思い出に残るたびでした。1人2100円で夜の更けるのを忘れるほどでした。

三名(霊)山を踏破〔海抜0~頂上〕


唄にうたわれた♪♪越中じゃ立山、加賀では白山、駿河の富士山 三国一だよ♪♪翔峰さんが昨年制覇されたのに刺激されて加賀白山を登り、三名山を海抜0mから踏破した。

 ★ 手取川よせくる波に手をふれて源流尋ね白山目指す

 白山を源として発する手取川は延長77km、河口の美川町を出発点として鶴来町、白山ヒメ神社、手取渓谷、ロックフィルダム、白峰村、秘湯白山温泉と手取川に沿って上る道をとった。

 ★ 手取川逆上り来れば白山ヒメ神社 社の森は大木の中

 鶴来町にある白山ヒメ神社は全国に3000余の末社をもつ白山神社信仰の本宮となる加賀一ノ宮である。この山行の無事を祈って頭をたれたのは河合、池田、可児、渡辺と私の同行5人である。和田さんはコース選定に地元ランナーとして助言をしてスターターをしていただいた。(敬称略)

 ★ 山麓の秘湯に浸り四肢伸ばし疲れをとばす白山温泉

 出発して11時間半、急ぐ旅でもないがダム湖の沿道はトンネルの連続、白峰村からの途中では川から飛び出した小熊に出くわすハプニングにあう。真っ暗な道を白線頼りに唯1軒の山宿、永井旅館に着き湯量豊富な秘湯に浸かり山菜の珍味で乾杯。

 ★ 原生林巨木の多き山なればぶな とど松の姿美し
 ★ 釈迦道は険しき尾根の修験道 峰道 滝を眼下に眺む

 白山禅定道と呼ばれる尾根道を上りに選んだが厳しいアップダウンの道で、さすが修験者の通った道だが良く整備されていた。一般人が通らないため荒されず、ぶなの大木、あおもりとど松など原生林が保存されていた。

 ★ 残雪に高山植物 目の保養乾いた喉に冷水探す

 高度をあげるとはい松や高山植物が目に映るようになり視野も開けて眺望が一転360度、眼前に白山頂上の御前峰、剣ケ峰などが開け、万年雪の雪渓がふんだんに出現した。小さなしかし原色鮮やかな日光キスゲ、ミヤマキンバイ、ハクサンイチゲなど高山植物が眼を楽しませてくれる。慶松平では涌き水に歓声をあげ、空になったペットボトルとおなかに冷水を入れる。

 ★ 白山の頂上に立つ御前峰 われ三霊山を征服の今日

 2003年7月13日、11時30分2702.2mの頂上に立つ。天気晴朗にして風すずし。写真を撮り合って疲れを忘れ興奮する。1999年立山を常願寺川河口の浜黒崎海岸から雄山にゴールし(立山登山マラニック;松原氏他)、2002年富士山を田子の浦から上り(フル百回楽走回;金子氏他)三名山を0mから完登したことになる。

 こだわり、チャレンジ、ユーモアだ。                          [完]

君は宮古島の風に勝てるか!


初めての宮古島への旅2泊3日を楽しんできた。日本のハワイと言われ、気候が同じ様で温暖な島国だが沖縄本島から300キロ以上離れているため、まるで違った国へ来たようなところがある。


 100キロ遠足と百キロワイドと2日続きのウルトラレースがあり、遠足が300人ほど翌日のワイドが323人の参加でほぼ同じコースで行われた。両レースに出た猛烈選手は50名弱との事で驚きのほかない。小生は仕事の都合でワイドに参加、表記のキャッチフレーズを身を持って体験した。100キロの制限時間は遠足が16時間、ワイドは14時間だが遠足は主催者の海宝氏の好意で実質関門もない。ワイドは主催者が上野村で厳しい関門とゴール規制があって完走率も74.6%でした。幸い風も弱く気温も低く走りやすい絶好の走り日であった。スタートの2時間半後の日の出とゴールにはちょうど夕日が沈むロケーションに恵まれたのだった。

 コースは宮古島を一周する100キロで、さとうきび畑とタバコ葉養生のビニールの他は自然一杯の青い空、エメラルド色の広い海、さんご礁と打ち寄せる波の白い波涛が目を癒してくれる。コースの後半30%は坂の連続する変化にとんだ道路だが、全て完全舗装、車は少なくエイドは2.5キロ毎に有って、親切なスタッフと走路要員も多数立っていて声をかけてくれる。トライアスロンで慣れているのか受け付けからレース、完走パーテイまで手際良い。

 ワイドでは富山の西部夫婦、石川の和田夫婦、こまったチャン、金魚ちゃん、柴本さんにお会いした。西部夫婦は零下の雪国から来て、夫婦並んで好成績のゴールは翌朝刊に載りました。(ワイドは宮古の方言で頑張れで途中で何十回【ワイドー】と声をかけられた)
 
 宮古島は1市2町1村、人口は45,000人程だがほとんどが平良市に住んでおり病院、スーパ、コンビニ、シテイーホテルもあり道路、町並、建物を見ても能登や佐渡に比べて裕福に見える。政府の離党対策が行きとといてるのだろう。

 島には川が1本も無く、池も従ってないが水が豊富な不思議な島だ。理由は隆起した珊瑚の上に出来た陸地のため山がない。珊瑚礁のため水は吸い取られ地下にダムが作られ1年飢饉がきても困らないという。農業の散水にはスプリンクラーが使われているし飲料水はアルカリ質で上質の美味い水だ。温暖な気候であるためか「揚げは蝶」の飛んでいるのをラン中に何度も見たし、ハイビスカス、ブーゲンビリアが家々の垣根になって花を大きく咲かしていた。砂糖きびはちょうど収穫時期かあちこちで人手による収穫が盛んだった。長く白い穂がススキのように揺れていた。

 十分な観光ができなかったので次回はゆっくりと島民の人情に触れられるような旅をしてみたいものだ。宮古の方言は沖縄からの若い出稼ぎの人々はまず分らないし習慣も違うと言う。島歌、花、いい唄が多くCDを土産に買い情感たっぷりと唄い、元気に踊った島民の姿を感動の眼で見たのを思い出している。
                                          【完】    15年1月15日

走 り 旅ー湯 布 院 へ の 道

「寝たいだけ寝たからだ湯に伸ばす」は種田山頭火が66年前の秋、11月に由布院に遊んだときの句である。私もこの連休に憧れていた湯布院を福岡からの120キロマラソンで訪ねることができた。湯布院は小高い山々に囲まれた盆地で、峠から見下ろすと噴湯の白い煙が上がっているのが見られる温泉地だ。散策するとこの町のいたるところに熱い湯が噴出しているのが分り、町民の生活の切り離せないものになっている。そして、町民の皆が外来者を客としてもてなす気持ちが良く分る。地図片手に歩き、尋ねてみると本当に親切に心からのもてなしが伝わってくる。(実際街中は分りにくいので散策地図がどこにでも置いてある。)


 その湯の町を優しく見下ろすように由布岳が聳えている。昨晩の冷え込みで頂上付近はうっすらと初冠雪が朝日に輝がやいている姿を宿の露天風呂から眺められた。昨日の夕方は水分峠の登りに真正面に豊後富士の名にし負う優美な姿を夕日を受けて見せてくれた。双耳峯と別名があるコニーデ火山だが万葉集にも歌われた名山で、今回は悪天候のため2時間程の登山をあきらめた。

 未通女がはなりの髪を木綿の山 雲なたなびき家のあたり見む
万葉集読み人知らず)
 湯布院は町村合併までは由布といい、古くからある学校名や通りには由布院が残っている。
 未通女ををとめとかなが振ってあったが理由はわからない。万葉時代はおおらかだったと聞くが。
 早朝の露天風呂では、村田氏から由布岳や雲仙普賢岳の登山や走友の活動の話を聞くが長湯が気にならないほどの単純炭酸の名湯だ。
 
 湯布院への走り旅は九州の走友、松崎氏からのメールで始まった。メールで彼が暖めていた用意周到な企画を知り、矢も盾もたまらず申し込んだ。福岡を夜9時にスタート、大宰府・甘木・日田・天瀬・玖珠・九重の町と山越えのある主に国道をたどるコースだ。夜間走行は3,4人のグループが固まって走り、前半は私は吉田()、吉田()、稲畑さん達に引っ張られ吉田氏の案内で筑後川を遡った。甘木の豊富な果樹園、庶民的な原鶴温泉など興味ある案内は眠気を追っぱらってくれた。夜が明けてからの後半は1人旅が続いたが、玖珠で佐藤さんに追いつかれて23キロの坂道を引っ張っていただき、ちょっとしたトラブルがあったが湯布院へゴールできた。国道は何度も下見した松崎氏もびっくりの大型トラックの量とスピードで、水分トンネルをはじめ歩道の無い危険個所もいくつかあった。明るい内に峠を越えられたが暗くなって越えてきたグループは大変な目にあわれたと想像する。天瀬では開店草々の喫茶店英国屋でモーニングをとりおいしいコーヒーを口にして休憩、玖珠では山田うどんの山かけうどんで精をつけた積もりだ。どちらも朝の仕入れ時に我々を見て歩くでもなく走っているようでもないので、どういう団体かと不思議に思っていたと言う。

 玖珠を過ぎ出発前の松崎氏指摘のリタイア決断個所をいくつか通り過ぎ、決断を迷っている時に追いついてきた佐藤氏にはっぱをかけられリタイアをあきらめる。長い坂をとぼとぼと見え隠れする姿を追い、トラックを気にしながら九重の山道を登った。主峰由布岳が真正面に見えたときは疲れが吹き飛ぶようだった。佐藤氏と制限時間を気にして「秒読みだなー」と峠を下って湯布院の町を目指していたが5時の時報が鳴っていた。  
                                                
 翌日は電動自転車を借りて街中を走り回った。観光客の多くなる前に金鱗湖畔の天井桟敷で窓からの紅葉を楽しんで朝のコーヒーを飲み、夢想園まで走らせて代表的という露天風呂も味わうがこの程度の風呂ならホテルや旅館に多数あるようなスケールの大きな温泉町だ。               完

エアーズロックに遊ぶ

只今、第2次ホームページ製作中です。ご教示ねがいます。